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取り壊し危機の鉄道遺産、地域交流の場に再生へ 四国唯一の扇形機関庫
取り壊しの危機にある四国唯一の扇形車庫などの鉄道遺産を、人々の交流の場として残そうという動きが出ているという。
その舞台はJR四国の宇和島運転区。予讃線の宇和島駅構内にある同運転区は1933年8月、宇和島鉄道の国有化と同時に宇和島機関庫として誕生した。1936年に宇和島機関区と改称され、転車台は1937年、扇形車庫は1941年に給水塔と同時に作られた。転車台は直径17メートルの電動式、扇形機関庫は鉄骨造で奥行き約23メートル。機関車4両を収容できた。かつての宇和島ではC12形蒸気機関車などが運行されており、当時これらの設備を使っていたと思われる。
宇和島機関区はその後1984年に宇和島運転区となり、1987年のJR発足と同時にJR四国に継承。JRとなってからも転車台や扇形機関庫はイベント列車などに使われることがあったようだが、その役目はほとんど終えていたと言える。扇形機関庫が現存するのは四国では同運転区だけだという。そのため同社は土地売却に向けて、これらの設備を取り壊して更地化することを決めていた。
その計画に待ったをかけたのが、古い建物を活かして地域活性化を目指す非営利の任意団体「床下土風」だ。同団体は2020年から建築家・隈研吾氏の協力を得て、宇和島運転区の扇形機関庫を活用した展覧会を開催していた。展覧会には愛媛県内をはじめ関東、関西、九州などからも来訪者があったという。そして同団体は今後、転車台などを含めた一角をJR四国から借り受け、地域の人々やこの地を訪れる人が集い、交流できる場所として再生していくことを目指している。
再生活用案では、扇形機関区を現代美術ギャラリーと制作アトリエスペースに、転車台は産業・歴史資料としてそのまま展示する計画が示されている。機関庫の側にある小屋も、カフェやショップなどとして活用。その周辺には市民農園やハーブカーデンを作り、一体を交流の場にするようだ。
同団体は「宇和島らしさを活かし広く世の中に伝える環境を整え、この地域とその他の人・地域との交流を深め促進させたい」とこの計画にかける思いを表明している。現段階では用地契約のための敷金不足といった課題があるというが、鉄道遺産が活かされた新たなスポットが誕生すれば、四国の鉄道旅にも楽しみが一つ増えそうだ。