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JALのマイレージ担当者 次はパイロット訓練へ
早期の経営再建に注力すべく、2010年当時はパイロット訓練の延期も決めたJAL。経営破綻の3か月後にパイロット訓練生として入社した彼らには、総合職への職種変更や他社を受験し直し、パイロットを目指す選択肢等があったという。
島川さんは「訓練延期の発表の際は、パイロット訓練生の仲間たちの泣き声も怒号も聞きました。でも、私は割と冷静に受け止めていたのを覚えています。当時の運航本部長で我々に訓練延期を告げた現社長の植木に、『訓練費用を訓練生が負担することで、訓練が継続できないのか。』と質問したこともありました。」と、当時を振り返ります。 しかし、2013年に再上場したJALは将来的なパイロット養成にも目を向けることができるようになりました。そのため一度夢を断たれた島川さんたちパイロット訓練生にも、操縦桿を握る道が再度開かれつつあります。
-JALのパイロットになろうと思ったきっかけは?
パイロットに憧れをもったきっかけは、幼少期に父と見た映画『トップガン』の影響です。就職活動に際して各業界を調べていく中で、パイロットという職種を含め、エアライン業界に魅力を感じるようになり、エアラインのパイロットになりたいと思うようになりました。
もちろん就職活動をしていた当時から既に、JALの経営状態は良好なものとは言えませんでした。しかし、逆境でこそ自分の力を発揮する機会があるだろうと思い、JALのパイロットを志望し続けました。
-パイロット訓練開始で涙があふれる
「いい仕事をして、良い会社を作って、訓練に戻るんだ!」という強い願望をもってこれまで仕事をしてきましたので、訓練再開は自分にとって「当然」実現することだと考えていたからかも知れません。
しかし、現在の上司が「おまえたちを訓練に戻すことができて本当にうれしい。各部の部長が集まった席で訓練再開が発表されると、どの部長も喜んでいた。」と言ってくれた時に、感謝の気持ちでいっぱいになり、涙があふれてきたことを覚えています。
自分達の力で訓練に戻れたと過信するところでしたが、JALのたくさんの仲間が応援してくれた力の方が本当はずっと大きかったんだろうなと今は思います。もちろん、破たん後もJALをお選びくださったお客さまの存在が訓練再開の一番の原動力であることは間違いありません。
-パイロット訓練を受けるにあたって、今の気持ちをお聞かせください
訓練に入れば、またイチからのスタートとなります。訓練が延期になってたくさんの業務を経験し、たくさんのことを学びましたが、それが余計なプライドになっては元も子もありません。新入社員のような真っ白な気持ちで、ひたむきに取り組みたいと思っています。
-これからパイロットを目指す人にひと言お願いします
自分が納得をするまで取り組んで欲しいです。全員が望んだとおりパイロットになれるとは限りません。ただ、納得をするまで取り組めば、きっと良い結果に近づけるはずです。
そして、パイロットをぜひ「職業」として考えてもらいたいです。「夢」であることは大事ですが、世の中にたくさんある職業のうちの一つとして、長所と短所をしっかりと理解した上で目指すべきだと思います。逆にもともと「夢」で無い人でも、パイロットという「職業」に惹かれたのであれば、普通の就活と同じように捉えて是非トライして欲しいです。
--2016年より始まるパイロット訓練に向けて、今もなおマイレージ事業で必死に邁進する島川さん。夢が実現したのは日々努力を積み重ね、あきらめない信念と強い願望を持っていたからこそ。ESTにはそんな彼の熱い心が凝縮されています。
JALで操縦桿を握る夢を追い続け、これまで必至に突き進んできた彼は現在チャレンジ中のダイエットも必ず成功することでしょう。
スリムになったパイロット姿の島川さんがお目にかかれる日も、そう遠くはなさそうです。
ビジネス書や統計分析など実務的な本をよく読んでいます。あと、今春は「1人フェス」デビューをしました。知らない人たちと飛び跳ねまくっているうちに1人じゃなくなりました。笑
●好きなスポーツは?
決して上手ではなかったですが小学校から高校までは野球でキャプテンをやらせてもらい、大学ではソフトボール部に所属していました。スタジアムでビール飲みながら見る野球はいいですね。
■島川 翼(しまかわ たすく)さん
2010年4月、日本航空株式会社に入社。2012年6月までの2年2ヵ月、成田空港のグランドスタッフとして勤務。2012年7月より現部署に配属。2016年よりパイロット訓練を予定している。