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エアアジア・ジャパン就航記念レセプション、トニー・フェルナンデスCEO挨拶全文【全文書き起こし】
また就航地としては他にももちろん候補があったわけですけれども、いろいろ迷った中で名古屋を推してくださった皆さんにお礼を申し上げたいと思う。名古屋がいいと言ってくれたみなさん、本当にありがとうございました。これまで私は人が行っていないところに就航したいと考えておりまして、あまり人が行っていない飛行機を飛ばして、今では便数をうんと増やしてということを続けてまいりましたので、今後名古屋にもたくさんの便数を増やせるように、世界から名古屋にたくさんの方が旅行にきてくださるようにということで、位置的にも日本の中心である名古屋、歴史深いこの名古屋の街にたくさんの人に来てくれるように、名古屋の人をたくさんの海外の街に運びたいと思っている。そしてみなさんに約束したことを守っていきます。低料金でみなさんをお運びするということとなる。本日はどうもありがとうございました。
最後の最後になりましたけれども、エアアジアを代表いたしまして、クルー、スタッフにお礼を申し上げたいと思う。16年の道のりは決して楽なものではありませんでした。問題が山積みでした。その度に解決策を見いだせてきたのは人たちのおかげなんとなる。そして私を朝早くから叩き起こして一緒に遊んでくれたり、忍耐強くいてくれたこと、苦しい時でも微笑みを忘れなかったこと、すべてのことに本当に感謝している。私の人生は夢で語れる人生となる。エアアジア・ジャパンというのが私にとって新しい夢になりました、一つ夢が増えました。本当にみんないつもありがとう。
そして本日は私にとって本当に夢のような一日となる。私生活でも1度目の結婚は破綻いたした。そして1度目のエアアジア・ジャパンも破綻いたした。しかしながら先週、2度目の結婚をプライベートでもすることができて、2度目の挑戦ということでエアアジア・ジャパンが立ち上がりました。ですので今日は本当に夢の日となる。10月29日の初飛行が本当に待ちきれません。私は不可能なことはないと思っておりますので、これからもそれを信じて、なんでも頑張れば可能にできると信じて頑張っていきたいと思う。みなさんどうもありがとうございました。
私が日本に参りましたとき、この中部国際空港に着陸をした時にですね、エアアジアの飛行機が2機とても寂しいそうに止まっているのを見ました。世界で一番寂しい2機だったんじゃないかと思う。2年間の間、あそこにああやって放置されて就航を待っていたわけです、Cチェックも終わって、マガジンの中にも登場しながらもなかなか初飛行ができなかった可哀想な飛行機となる。それは終わったこととして、なかなかいいことに時間がかかるということで、ベストを望めば時間がかかるとのことでお許しいただきたいと思う。本日私はスピーチ、予定されていたよりもうんとうんと長くお話をしておりますけれども、2年半も待った後のスピーチですのでお許しください。そして私のスピーチをこれで長いなと思うような人は、地獄に落ちれば良いと思う。そして私のスピーチは長くなっていますけれども、エアアジア・ジャパンは遅刻なしで飛びたいと思う。ここにいる秦社長がオンタイムを約束してくれます。どんなに天候が悪かろうと、どんな条件であろうとオンタイムを約束しますので、皆さん楽しみにお待ち下さい。