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フィンエアー、北極航路復活で「証明書」配布 ムーミンのステッカーも
フィンエアーは、北極上空を飛行する「北回り」航路が復活したことを受け、乗客に新たに北極通過証明書の配布を開始した。
ロシア領空の通過が禁止されたことを受け、3月9日から北極やアラスカ上空を通過する「北回り」航路で、東京/成田〜ヘルシンキ線の運航を再開していた。
フィンエアーは1983年に、北極上空を飛行してヨーロッパと日本を直行便で結んだ最初の航空会社ではあるものの、約30年ぶりの北極上空を通過する航路の復活に伴い、入念な計画を建てる必要があった。ルフトハンザ・システムズの飛行計画システム「Fido」で、ヘルシンキからノルウェー、スバールバル諸島、北極を超えてアラスカに向かい、海を渡って日本へ向かう飛行計画が立てられた。
飛行時間や積載量、燃料消費量などを算出し、コストを計算した。ルート上の地形のほか、代替空港が使用可能であるかといった、多くの情報収集も必要だった。当時と異なり、保有する最新鋭機のエアバスA350-900型機10機はETOPS300分の認証を取得しており、1基のエンジンが停止した場合、代替空港までの飛行距離を長くとることも可能となっていた。
飛行計画を立てたRiku Kohvakka氏は、「私はまず、ヘルシンキから東京までの最適なルートを計算できるように、システムからロシアを除外することから始めました。様々な理由による空域の閉鎖は、フライトプランナーの日常生活の一部ですが、今回のロシア空域全体の閉鎖という変更は非常に例外的で、システムを起動して代替経路を作成するためには、実際には代替ウェイポイントという形で手動でのガイダンスが必要でした」と話した。
ヘルシンキ発の計画上の飛行時間は12時間52分で、実際の飛行時間は12時間54分だった。初便に乗務した3人の機長と1人の副操縦士のうち、Aleksi Kuosmanen機長の父、Ismo Kuosmanen氏は、フィンエアーの史上初の北極上空直行便のパイロットだった。北極上空の飛行は何ら問題なかったものの、「目立った違いは、コックピットにあるバックアップ用の旧式磁気コンパスが少しおかしくなったこと」(Aleksi機長)だったという。
1983年当時にも、フィンエアーの東京便の乗客は北極上空の通過証明書をプレゼントしていた。現在も証明書とムーミンのステッカーを用意しているという。