直行便復活のサイパンからマリアナ2島を巡る 先人の証が残る島、テニアン

ユナイテッド航空によって9月1日に日本からの直行便が復活したサイパン。かつて日本人にとっての身近な海外リゾートとして隆盛を極めていた当時、ジャンボ機で現地を訪れた記憶がある人は少なくないはずだ。

単純に「サイパン」と言えば、サイパン空港のあるサイパン島を思い浮かべるだろう(「ハワイ」と言えば多くの人がオアフ島をイメージするように)。しかし、一般的にサイパンと呼ばれる北マリアナ諸島は、南北に連なる14の島から成る。サイパン島の他には、太平洋戦争で激戦が繰り広げられたテニアン島、ダイバーから“聖地”とも呼ばれるロタ島などが有名だ。

今はまだ“知る人ぞ知る穴場”とも言えるこれら2つの島を、2回に分けて紹介する。

先人の証が残る島、テニアン

テニアン島は、サイパン島の南西約5キロに浮かぶ人口約2,000人の有人島。面積は約100平方キロメートルで、伊豆大島と同じくらいだという。

▲ラミネート加工されたこのカードが“搭乗券”。「3」は座席番号

▲今回のキャプテン、ハナエさん。パイロットの夢をサイパンで叶えた

島へは、サイパン空港からスターマリアナス航空というローカルエアラインが就航している。乗り込んだのは5人乗りの小さなプロペラ機。この日のキャプテンは日本人のハナエさんだ。ターボエンジンを唸らせてサイパン空港を飛び立つと、15分ほどでテニアン島に到着した。

▲空港から島の南側に向かう途中、遠くに青い海が見えた

テニアン島には南北を貫く2本の幹線道路が走っている。「ブロードウェイ」、「8thアベニュー」という通りの名は、テニアン島の形がニューヨークのマンハッタン島に似ていることにちなむという。

▲テニアン島で最も有名なタガビーチ。海の透明度はサイパン島を上回ると言われる

島のいたるところには手つかずの自然が残り、海の透明度も抜群。こぢんまりとしたビーチが点在し、静かな時が流れる。

▲生い茂る植物の中に、忘れられたように残る赤茶けた金属片

森の中を歩いていると、朽ち果てた金属片が落ちていた。島のガイドがすかさず、「それは機関銃の破片です」と教えてくれる。ゆったり静かな現在の島の様子からは想像もできないが、テニアン島は太平洋戦争の激戦地。その痕跡は終戦から70年以上経った今でも生々しく残っている。冒頭の写真は、島な北部に残る旧日本海軍司令部跡だ。

▲3本の滑走路はサイパン島に戻る飛行機からも見ることができる

▲爆撃機に原爆を搭載したピット

司令部跡からさらに北に進むと、薮の中に3本の滑走路が忽然と現れる。そしてその近くにあるのは、“Atomic Bomb Loading Pit”と書かれた碑が立つ2つの坑。中には爆弾の写真が並んでいた。そう、ここテニアン島は、原爆を積んだ爆撃機が広島と長崎に向けて飛び立った島だ。

▲スーサイドクリフではこの12月、3年ぶりの慰霊祭が行われるという

変わって島の南端にあるのは「スーサイドクリフ」。原爆投下の約1年前、日本の劣勢が決定的になると、投降を拒んだ多数の民間人がこの絶壁から身を投げた。眼下に青々と広がるこの海原を、先人たちはどんな思いで見下ろしていただろうか。

▲島の広場に立つ慰霊碑。「日本人之墓」と刻まれている

かつて日米両軍が激突したこの地はやがて米国自治領となり、日本人観光客も訪れる平和な島になった。

美しい海、南国の雰囲気――だけではないからこそ、あえてテニアン島を訪れる意味がある。マリアナ政府観光局はこれらの戦跡を活かし、テニアン島への教育旅行や研修旅行を訴求していきたいという。(次回の「ロタ島編」はこちら